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映画評 「銀魂 THE FINAL」 [映画評]

映画「銀魂 THE FINAL」が好調なスタートを切ったという。
公開4日間で興行収入5.3億円を突破し、13週間首位を走り続けていた「鬼滅の刃」を止めたのだという。
緊急事態宣言の中、
劇場版の前2作「劇場版 銀魂 新訳紅桜篇」及び「劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ」を上回るスタートというから、ちょっと驚いた。

銀魂への思いは、先日ブログに書いた。
https://matoko.blog.ss-blog.jp/2021-01-18

しかし、本作に気持ちは乗っていかない。
失礼ながら、蛇足感があるからである。
それでも劇場には足を運んでしまう。
我ながら、ファンとはいじらしいものである。

予想どおり、前2作と比べると映画としての熱量は著しく下がっている。
紅桜篇のときに感じたワクワク感はすっかりなく、
よくあるアニメの総集編のようになっている。
まあ、そういうものだが、パンクな銀魂が好きだったものとしては寂しい。
妙な表現だが、再結成されたセックス・ピストルズを見ているような気分になった。

ストーリーは平板だし、
普通の映画ならびっくりするだろうオープニングの仕掛けも既視感にあふれ、
映画の大部分を占める戦闘シーンの工夫もイマイチ。
みんなが手に手を取り合って協力し合う姿も、ふうむ。
登場人物一人一人のキャラががっつり立っているのが銀魂の魅力の一つだっただけに、彼らが主人公の下請け作業をするのは似合わない。

さらに個人的な思い入れになってしまうが、
銀魂は、銀さんのエピソードであると同時に、新八の成長物語であるとも思っていたので(銀魂を知らない人にはなんのことかわからないだろうが)、
THE FINALを謳う作品での描かれ方の希薄さは残念だった。
深く濃い話を描くより、
とにかく映画として成立させること、
主要人物を残らず登場させて、
それぞれにそれなりの見せ場を作ること、
に専念されていたように思う。
そうなるのはよくわかるし、
誰が作ってもそうなる気がするが、
誰が作ってもそうなる作品で銀魂が締めくくられることはやはり寂しかった。

作画も今一つであり、
いろいろもやもやした点はあった。
それでも、観ているうちに感傷的な気持ちが湧き上がってくるのは押さえられなかった。
2006年のアニメ第1期開始から、かれこれ15年。
このアニメ作品にずっと一喜一憂してきた。
テレビ放送が終了すると聞いては嘆き、
再開すると聞いては喜び、
映画が作られると聞いては期待と不安に揺すぶられ、
驚かされ、ときにがっかりさせられてきた。
それらが本作で終わるとなると、映画の出来はともかく、平静ではいられなかった。

最後までドタバタと映画は進み、にぎやかにエンディング。
場内が明るくなり、みんなぞろぞろ席を立つ。
祭りが終わったときのような寂しさがふと湧いてきた。
ひゅうっと冷たい風が吹いた。

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