アントニオ猪木さんがお亡くなりになった [ヨモヤ]
アントニオ猪木さんが亡くなられた。
79歳。
ちょうど私が物心ついたころ、
猪木さんは新日本プロレスを立ち上げられた。
私は馬場さんの全日本プロレスの方が好きだったが、
猪木さんのプロレスも毎週見ていた。
金曜日に新日、
土曜日に全日のテレビ中継があるという素敵な時代だった。
アリとの「世紀の一戦」は1976年。
評価する声もたくさんあるが、リアルタイムで見ていた子供にとってはさすがにつまらなかった。
それがきっかけというわけではないけれど、
私の興味関心は1980年前後から一層全日本プロレスに集中する感じになり、
猪木さんのプロレスはあまり見なくなった。
延髄斬りを決め技にするのはあまりよくないなあ、と感じていたくらいで。
猪木さんは、栄枯盛衰激しい方で、
多くの敵も作られたと思う。
お金に絡むトラブルも尽きなかった。
しかし、最後はなんとなくおさまっていく。
まさにスーパースターだった。
猪木さんは日本にプロレスという文化を根付かせた立役者であり、
多くの人に多大な影響を与えられた。
プロレスは、格闘技というより生き様である。
私もプロレスラーでありたいと願い続けている。
猪木さんは病床の様子をわざわざ公開されていた。
最後までプロレスだった。
79歳。
ちょうど私が物心ついたころ、
猪木さんは新日本プロレスを立ち上げられた。
私は馬場さんの全日本プロレスの方が好きだったが、
猪木さんのプロレスも毎週見ていた。
金曜日に新日、
土曜日に全日のテレビ中継があるという素敵な時代だった。
アリとの「世紀の一戦」は1976年。
評価する声もたくさんあるが、リアルタイムで見ていた子供にとってはさすがにつまらなかった。
それがきっかけというわけではないけれど、
私の興味関心は1980年前後から一層全日本プロレスに集中する感じになり、
猪木さんのプロレスはあまり見なくなった。
延髄斬りを決め技にするのはあまりよくないなあ、と感じていたくらいで。
猪木さんは、栄枯盛衰激しい方で、
多くの敵も作られたと思う。
お金に絡むトラブルも尽きなかった。
しかし、最後はなんとなくおさまっていく。
まさにスーパースターだった。
猪木さんは日本にプロレスという文化を根付かせた立役者であり、
多くの人に多大な影響を与えられた。
プロレスは、格闘技というより生き様である。
私もプロレスラーでありたいと願い続けている。
猪木さんは病床の様子をわざわざ公開されていた。
最後までプロレスだった。
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