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またまた「BECK」 [映画評]

映画「BECK」の絶賛ブログ第3弾。
あとしばらく続きそうである。
今日は、その陳腐さについて。

私は、原作については読んではいないのでなんとも言えないが(この先も読む予定なし。映画は映画として楽しんだ)、少なくとも映画「BECK」のストーリーはかなり陳腐である。
その展開ないだろう、そんな奴現実にはいないだろう、が連続する。
なかでも、中村獅童演じるプロデューサー蘭の陳腐さ、カッチョ悪さは特筆である。まさに漫画。まんま漫画。
きっと、芸術映画みたいなのが大好きな、ヒットしない映画を褒めるのが生きがいみたいな、誰にもわからない映画をわかったような顔をするのが大好きな、そんな映画評論家は、こういう蘭的な登場人物は大嫌いだろう。
品がない、現実味がない、意味がない。

しかし、それでいいのだ。
監督も脚本家も、そして中村獅童さん本人も、この役がド陳腐なことは知っている。
真面目に演じれば演じるほど滑稽になることもわかっておられる。
そこで、真面目に演じるのである。
パロディのような顔をしたりはしない。大真面目に敵役を演じる。
だからこそ、エクスタシーが生まれる。プロレスと同じである。単純で品がないが、効果はてきめんである。

もちろん、これがいつも成功するとは限らない。
というより、大抵は失敗する。
興醒めになる場合も多い。
だが、BECKでははまった。外人の悪役も出てくるのだが、その陳腐さもはまった。

伝えたいことを伝えるためには、あえて道化もやる。
大の大人がよってたかって、やる。
笑われても、やる。
そして、BECKは、そうする価値のある映画であった。
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