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残虐さに関する想像力 ~一人殺すときと無差別に殺すとき~ [ヨモヤ]

以前、心理学か何かの講演会で、2枚の写真を比べていた。
1枚は、誰かが拳銃を一人の人に向けている写真、
もう1枚は、空軍機が爆弾を上空からバラバラと落としている写真。
「どちらに残虐性を感じますか?」
と尋ねると、ほとんどの人が、一人が殺されようとしている写真を指すらしい。
私も、直感的に、そちらの写真の方が恐ろしいと感じた。

しかし、落ち着いて考えてみれば、爆弾が落とされている先には、何人もの人が暮らしているかも知れない。
幸せな日々が一瞬にして奪われ、人が何人も命を落としているかも知れない。
想像力を働かせるかどうか。

イスラム国とアメリカの戦いが激しさを増している。
アメリカは、政府の要請がないままにシリアへの空爆に踏み切り、その正当性には大きな疑問符がついている。
また、そもそも今回の混乱の原因の根幹には、アメリカの失敗の連続があるともされている。
ここでは、どちらがいいとか悪いとかは論じない。
ただ、想像力の問題を改めて考えたい。

イスラム国は、欧米人の処刑映像をネットで流している。
民間人であり、残虐な行為であると言わざるを得ない。
一方、アメリカは空から攻撃を行っている。
軍事施設や製油施設を狙っているということだろうが、人への影響がないとは考えにくい。
しかし、残虐な行為であるとの批判は聞かない。

両者の言い分、両者が行っていること。
想像力で補わなければならないことも多いと思う。
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