映画評 「クソみたいな映画」 [映画評]
映画館のチケット売り場で
「クソみたいな映画、お願いします」
と言うと、
「はい、クソみたいな映画、15時からの回のご案内でよろしいでしょうか」
と答えてくれた。
入口に進むと、
「クソみたいな映画、ただいま開場しております」
と伝えてくれた。
クソみたいな映画、という言葉が遠慮なく飛び交っていた。
クソみたいな映画、というタイトルを付ける以上、逆に内容に自信があるのかと思うのが普通だろう。
クソじゃないと思っているからこその、このタイトルのはず。
しかし、この映画にそんな常識は全く通用しなかった。
タイトルに恥じない、いや、それ以上の作品。
クソみたいなという言葉の、「みたいな」という部分が余分であるとさえ感じられるくらい。
なぜ私がこの映画を観に行ったかと言うと、NON STYLEの石田さんの脚本だったから。
私はお笑いの人を信じている。
ああ、それなのに・・・。
おそらく、年間ワースト映画に堂々ノミネートされるだろう。
ただ、まったく話題にもなっていないので、そうなるとワースト映画として取り上げられることもないだろうか。
ひどいし、ひどすぎて笑えもしないし、熱くもないし、見られてもいない。
まあ、惨憺たる映画だった。
何が悪いって、残念ながら脚本が悪い。
NON STYLEの漫才には信頼を置いているが、
今回の石田さんの脚本は、はじめから最後まで少しも面白くなかった。
「いやいや、ここまではフリで、この先面白くなるはず」
「このままズルズル終わる映画なんかあり得ない。これから山場が来るはず」
といった期待はすべて無残に裏切られた。
もちろん、映画の最終責任者である監督さんの手腕もさっぱり。
演じておられる方々もなんというか、もう。
すべてがハラホロヒレハレという、ある種稀有な作品。
「クソみたいな映画」は、
「いや、これを公開したら駄目でしょう」と言いたくなるくらいのダメダメな作品。
これを観た多くの人が、そのつまらなさにおそらく驚くのではないか。
本作にかかわった方々は、一度身銭を切って、劇場に足を運ばれるといいと思う。
そして大切な時間とお金をいただける作品か、胸に手を当てて考えていただきたい。
お客さんの反応もご覧いただきたい。
自分たちが何をしてしまったのか、おわかりになるのではないだろうか。
「クソみたいな映画、お願いします」
と言うと、
「はい、クソみたいな映画、15時からの回のご案内でよろしいでしょうか」
と答えてくれた。
入口に進むと、
「クソみたいな映画、ただいま開場しております」
と伝えてくれた。
クソみたいな映画、という言葉が遠慮なく飛び交っていた。
クソみたいな映画、というタイトルを付ける以上、逆に内容に自信があるのかと思うのが普通だろう。
クソじゃないと思っているからこその、このタイトルのはず。
しかし、この映画にそんな常識は全く通用しなかった。
タイトルに恥じない、いや、それ以上の作品。
クソみたいなという言葉の、「みたいな」という部分が余分であるとさえ感じられるくらい。
なぜ私がこの映画を観に行ったかと言うと、NON STYLEの石田さんの脚本だったから。
私はお笑いの人を信じている。
ああ、それなのに・・・。
おそらく、年間ワースト映画に堂々ノミネートされるだろう。
ただ、まったく話題にもなっていないので、そうなるとワースト映画として取り上げられることもないだろうか。
ひどいし、ひどすぎて笑えもしないし、熱くもないし、見られてもいない。
まあ、惨憺たる映画だった。
何が悪いって、残念ながら脚本が悪い。
NON STYLEの漫才には信頼を置いているが、
今回の石田さんの脚本は、はじめから最後まで少しも面白くなかった。
「いやいや、ここまではフリで、この先面白くなるはず」
「このままズルズル終わる映画なんかあり得ない。これから山場が来るはず」
といった期待はすべて無残に裏切られた。
もちろん、映画の最終責任者である監督さんの手腕もさっぱり。
演じておられる方々もなんというか、もう。
すべてがハラホロヒレハレという、ある種稀有な作品。
「クソみたいな映画」は、
「いや、これを公開したら駄目でしょう」と言いたくなるくらいのダメダメな作品。
これを観た多くの人が、そのつまらなさにおそらく驚くのではないか。
本作にかかわった方々は、一度身銭を切って、劇場に足を運ばれるといいと思う。
そして大切な時間とお金をいただける作品か、胸に手を当てて考えていただきたい。
お客さんの反応もご覧いただきたい。
自分たちが何をしてしまったのか、おわかりになるのではないだろうか。
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