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昔と今では次元が違うほど暑いか [ヨモヤ]

私が子供の頃、学校にエアコンはなかった。
家庭にも十分に普及していなかった時代だから、それも当然である。

このところ、学校にエアコンをつける流れが加速している。
このことに違和感を持つ人はあまりいないだろう。
何故なら、昔より今の方が暑いからである。

しかし、ちょっとだけ落ち着いて考えてみたい。
どのくらい暑くなったのか、ということについてである。

世論の大多数は、
「学校にエアコンをつけるのは当然」
となっている。
大多数が求めるのなら、それでいいのだと思う。
しかし、
「以前とは、暑さの次元が違うのだから、エアコンをつけなければ子どもたちが可哀そう」
と感じておられる方が多いようなのは、ちょっと気になる。
本当に、「次元が違う」ほど暑くなっているのだろうか?

「次元が違う」という感じ方は、人それぞれだろう。
ただ、2度や3度の差ではなく、少なくとも5度以上は違わないと次元が違うとは言わないのではないか、
と私は思う。

人々の記憶にある「昔」というのがいつのことを指すのかもはっきりしないが、
今の高齢者を基準に50年くらい前を「昔」としてみる。

東京の約50年前の7月及び8月の最高気温の平均は以下のようである。
(データは、気象庁のホームページで簡単に調べられる)
1967年:7月 30.0、8月 32.0
1968年:7月 28.0、8月 30.2
1969年:7月 28.7、8月 31.4

一方、最近の3年間は以下のとおりである。
2017年:7月 31.8、8月 30.4
2018年:7月 32.7、8月 32.5
2019年:7月 27.5、8月 32.8

多くの人が実感しているとおり、最近の方が暑い傾向にある。
しかし、「次元が違う」と言えるレベルだろうか。
暑くなっているといっても2度程度である。
念のために言うと、東京はヒートアイランドの影響で、他の地域より気温の上昇が大きいとされているから、
他の地域はもっと差が小さい可能性がある。

誤解のないように付け加えると、気温が2度変わるというのは大変なことである。
いろいろなところに影響が出る。
そのため、環境、という観点で見ればこの気温差は小さくない。
しかし、一個人として見た場合、
30度なら我慢できるが32度なら生死にかかわる、
ということはないだろう。
子どもたちが昔とは次元の違う暑さに見舞われている、
というのも、ちょっと言い過ぎではないだろうか。
記憶に基づくものではなく、数字の比較で感じることである。

どうも、変わったのは気候ではなく、
日本人の方である気もする。

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