喫茶店が閉まるということ [ヨモヤ]
お店が閉まるというのはどんなお店でも切ないものである。
その店に思い出があればなおさらだが、
たとえ思い出が無くても、
今まであったものがなくなるのは寂しい。
そこで働いていた人のこと、
そこで流れていた時間のこと、
などを考えるとなおさら。
どんなお店でも閉まるのは残念だが、
なかでも本屋さんと喫茶店がなくなるのは特に胸に応える。
過ごした時間ごと消えてしまう気がするからだろうか。
先月、所沢にある「ペルレイ」という喫茶店が閉店した。
入口に1938と掲げてあり、これが開店の年だとすると、
戦前から、90年近く続いてきたことになる。
そのお店にしょっちゅう行っていたかというとそんなことはなく、
せいぜい年に数回程度だった。
近くでコーヒーを飲む際には、ドトールやタリーズで手軽に済ませることが多く、
ペルレイに行くときは、少し構えていく感じだった。
といって、敷居が高い店というわけではなかった。
ただ、チェーン店などと比べると、おっさんが一人でぶらっと入る感じとは少し違った、
静謐な時間が流れていた。
閉店の理由は、業績の不振ではなく、
店主さんのご体調ということらしい。
実際、週末はいつもお客さんでいっぱいだった。
ペルレイという喫茶店に、
何か特別な思い出があったかというと、そんなことはない。
なくなって困るかというと、正直そうでもない。
しかし、なんとも言えない喪失感がある。
美味しいコーヒーをゆっくり飲みたくなったらあそこに行こう、
のあそこがなくなってしまった。
ペルレイという名前は、アルファベットで書くと PER LEIである。
イタリア語で「彼女のために」という意味になるか。
この店を始められた方が、誰かを念頭に置いて付けられた名前なのだろうか。
その思いは果たされたのだろうか。
お店の跡地に行くと、
そこに何があったのか思い出せないことがある。
ペルレイのことも忘れてしまうかもしれない。
ただ、美味しいコーヒーを飲ませてくれる、
小粋な喫茶店があったことは、
ずっと覚えていたい。
そこで豊かな時間を過ごさせていただいたことも。
その店に思い出があればなおさらだが、
たとえ思い出が無くても、
今まであったものがなくなるのは寂しい。
そこで働いていた人のこと、
そこで流れていた時間のこと、
などを考えるとなおさら。
どんなお店でも閉まるのは残念だが、
なかでも本屋さんと喫茶店がなくなるのは特に胸に応える。
過ごした時間ごと消えてしまう気がするからだろうか。
先月、所沢にある「ペルレイ」という喫茶店が閉店した。
入口に1938と掲げてあり、これが開店の年だとすると、
戦前から、90年近く続いてきたことになる。
そのお店にしょっちゅう行っていたかというとそんなことはなく、
せいぜい年に数回程度だった。
近くでコーヒーを飲む際には、ドトールやタリーズで手軽に済ませることが多く、
ペルレイに行くときは、少し構えていく感じだった。
といって、敷居が高い店というわけではなかった。
ただ、チェーン店などと比べると、おっさんが一人でぶらっと入る感じとは少し違った、
静謐な時間が流れていた。
閉店の理由は、業績の不振ではなく、
店主さんのご体調ということらしい。
実際、週末はいつもお客さんでいっぱいだった。
ペルレイという喫茶店に、
何か特別な思い出があったかというと、そんなことはない。
なくなって困るかというと、正直そうでもない。
しかし、なんとも言えない喪失感がある。
美味しいコーヒーをゆっくり飲みたくなったらあそこに行こう、
のあそこがなくなってしまった。
ペルレイという名前は、アルファベットで書くと PER LEIである。
イタリア語で「彼女のために」という意味になるか。
この店を始められた方が、誰かを念頭に置いて付けられた名前なのだろうか。
その思いは果たされたのだろうか。
お店の跡地に行くと、
そこに何があったのか思い出せないことがある。
ペルレイのことも忘れてしまうかもしれない。
ただ、美味しいコーヒーを飲ませてくれる、
小粋な喫茶店があったことは、
ずっと覚えていたい。
そこで豊かな時間を過ごさせていただいたことも。