SSブログ

1970年代 西城秀樹さんが音楽の入口だった [ヨモヤ]

歌手の西城秀樹さんが亡くなられた。
63歳だった。

「ちびまる子ちゃん」の中で、西城秀樹さんが当時のトップアイドルとして描かれているが、確かにあの世代(私もそう)にとって彼の存在は大きかった。
新御三家として、郷ひろみさん、野口五郎さんと並び称される存在だったが、西城さんは、「絶唱型」として音楽面の訴求が強かった。

西城さんがブレイクした「情熱の嵐」が発売されたのが1973年。
当時、グループサウンズはピークを過ぎていた。
フォーク・ソングは人気があったが、その世界観は子供が入っていけるものではなかった。
1978年にサザンが登場するまでロックバンドも一般的な人気を獲得する存在ではなかったから、子供たちが音楽に触れるのは歌謡曲がほとんどだった。
そして、歌唱力の高い西城さんは、音楽の入口ともいえる存在だった。

もちろん西城さんはアイドルとして活躍されていて、ミュージシャンとして認知はされていなかった。
しかし、どのように認知されていようと、子供たちは素直に影響される。
西城秀樹さんに憧れて育ったロック・アーティストによる
『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS' WANNA ROCK!』
なるアルバムが作られたのはそのわかりやすい発露である。
T.M.Revolutionさんも、西城さんへの思いを語られていた。

「薔薇の鎖」でのマイクスタンドパフォーマンスも印象深い。
「ヤングマン」での狂熱は今でも瞼に焼き付いている。
西城秀樹さんは、多くの人間に影響を与える、スターらしいスターだった。
お亡くなりになった後も、西城さん的なものは、脈々と受け継がれていく。
nice!(3)  コメント(1) 
共通テーマ:仕事