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「時代遅れ」は誰が決める? ~ 高校で燃えてもええんちゃうかなあ ~ [ヨモヤ]

3年ほど前、「セトウツミ」という映画を観た。
池松壮亮くんと菅田将暉くんの共演というタマラナイ顔合わせなのだが、
映画の中では、ほとんど何も起こらない。
二人の高校生が、川の、しかも都会のあまり綺麗ではない川のほとりで、
ブツブツ会話しているだけ。
もちろん、若いだけにいろいろな思いが実はあり、葛藤もある。
しかし、部活やらなにやらでキラキラはしていないながらも、自分は自分なりに生きている。
平気な顔をしていながらも、もがき続けている。
そして、こんなセリフがある。
「走り回って汗かかなあかんのか?
なんかクリエイティブなことせなあかんのか?
仲間と悪いことしたりせなあかんのか?
この川で暇をつぶすだけの青春があってもええんちゃうんか」
それは、コメディタッチで描かれるこの映画において、グサッと来る魂の叫びである。
このセリフを言う池松くんが、またいい。

話はガラッと変わる。
スポーツ庁の鈴木大地長官が、高校野球で投手の連投や投げすぎが懸念されている問題について
「『高校で燃え尽きてもいい』は時代遅れ。故障なく精いっぱい戦うことが重要」
とおっしゃったそうだ。
ふむ。
そうだろうか。

長官にお言葉を返すようではあるが、私は時代遅れとは思わない。
川で暇をつぶすだけの青春があってもいいし、
甲子園にすべてをかける青春があってもいい。
時代遅れとか時代錯誤とかは、全く思わない。

「人生は長いのだから」
とおっしゃる方がおられるが、どんなに人生が長くても高校時代は一度しかない。
甲子園を上回る舞台もない。
仲間とやる草野球も、それはそれで楽しいだろうが、その老後の楽しみのために、
青春かけて燃えられる場所で燃えようとしないのでは、
一体何のための命なのやらと思ってしまう。

もちろん、プロ野球、メジャーと進む人間もいる。
上でプレーするために、怪我をしたくない、あまり投げたくないというのなら、それはそれで結構である。
大切に使いたいという指導者の方針も、一つの見識だと思う。
しかし、青春をかける選手たちを時代遅れとは思わない。

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