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言葉に敏感になっているのは世界共通らしい ~「すしの国」は差別? ~ [ヨモヤ]

「言葉狩り」という言葉は以前からあったが、
ここに来て言葉を狩ろうとする動きが激しさを増している気がする。
原因は、
コロナだろうか、
ネットだろうか、
マスコミだろうか、
それとも私たち一人一人の心だろうか。

本当に許せない、許してはいけない言葉、というのももちろんあると思う。
しかし、誰が傷ついているわけでもないような言葉が、
人為的に炎上することが増えている気がする。
人を思いやりながら話すことは大切だが、
なにかにおびえながら言葉を選ばなければならない世の中になったら窮屈である。

そうした傾向は日本だけではないようだ。
ドイツでもちょっとした議論が起きている。
それが、「すしの国」論争である。

ブンデスリーガ・ハノーファーでプレイする室屋成選手の放ったシュートについて、とあるレポーターが、
「(入れば)ハノーファーで初ゴールになっていたでしょう。最後に点を入れたのは、『すしの国』のことでした」
とコメントしたことが炎上したのだそうだ。
これについて、室屋選手や日本人への差別と捉えた視聴者から苦情が殺到したのだという。
結果、レポーターは降板したというから穏やかではない。

何がいけないのかよくわからないが、怒っている人の意見としては、
「人間を食べ物扱いするなんて」
「ステレオタイプな見方はアジア人を見下す考えに基づいている」
「外国人を排他的に扱っている証拠」
といったことのようだ。

もちろん、
「○○の国という表現は特別なものではなく、例えばフランスはワインの国といっても差別に当たらないはず」
「ごく平凡な表現で、とりたてて問題にすることでもない」
という意見もある。
批判にさらされた発言主も、「差別的な意図はなかった」としている。
私もこのコメントから日本人や室屋さんに対する差別意識は感じないのだが、
同じ言葉でも言う人によって受け止め方が変わるのは避けられないところであり、
このレポーター氏の過去の発言が影響を与えている面はあるようだ。

知らず知らずのうちに人を傷つけていることもあるので、
言葉に敏感であることは必ずしも悪いことではない。
しかし、行き過ぎた言葉狩りは、
表現を委縮させたり、
過度な誹謗中傷につながったり、
かえって差別を見えなくさせたり、
デメリットの方が大きいように思う。

言葉や表現を締め上げることには慎重であるべきと思うのだが、
言葉を扱うマスコミ自体が言葉を狩る方向に乗っかることが多い気がする。
なんとも解せないところである。

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