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ピッチャーの球数制限によって守られるもの 失われるもの [ヨモヤ]

真夏に甲子園があるのは昔からのことなのに、妙に球児を心配する大人が増えた。
何故なのだろう?

それはそれとして、ピッチャーの球数を制限すべきとの議論が起きている。
それによって守られるものはなにか、失われるものはないか、考えてみよう。

守られるものは、科学的な根拠はないものの、投手の肘や肩であろう。
科学的根拠はない、と書いたのは、何球以上なら怪我をするといった研究がなされていないからである。
事実上の球数制限をしているメジャーの先発投手に怪我人が続出していることでもわかるように、球数と故障の相関関係は単純ではない。

そもそも、なんのために投手の肘や肩を守りたがっているのかが、私にはよくわからない。
「将来がある」
とよく言うのだが、ほとんどの選手には、高校野球を超える将来などない。
ここで無理したくない、と思う選手に将来があるとも思えない。
肘や肩を壊したら生命にかかわる、というのならともかく。

失われるものは、まずは公立高校の勝機であろう。
現在でも、特に都市部では公立高校は非常に分が悪いが、球数制限が設けられエースが連投できないとなったら、さらに絶望的である。
この夏、大旋風を起こした金足農業の進撃のようなことが起こらなくなる。

頑張っても甲子園に行けないことがはっきりすれば、希望も失われるだろう。
球数制限論者の方は、そんなに甲子園に行きたいのなら、強豪私立校に進学しろ、というのだろうか。

夏に大会を開くこと自体がナンセンス、という人もいる。
快適な環境のなか、安全にスポーツを楽しませてあげたい、
というのだろう。
お優しいんですねえ、と思う。
なぜそんなにお優しいのか、さっぱりわからないけれど。
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