春はセンバツから ~選手宣誓に心震える~ [ヨモヤ]
こんなことを言うと、他のスポーツファンには怒られるのかもしれないが、
日本において野球は特別な存在だと思う。
プロスポーツとして長く人気を保っているし、
甲子園は他の学生スポーツとはまったくレベルの違う注目を集める。
野球を続けるのは、なかなか大変だ。
注目度が高いことに加え、
用具を揃えるだけでも他のスポーツより費用が掛かるし、
強い高校に入れば遠征やらなにやらでさらに負担は増す。
だから、選手たちの意識も少し違ったものになる。
そうした意識が悪い面に出ることもあるが、いい面でのプライドとして現れることもある。
2年ぶりに始まったセンバツにおける仙台育英高校キャプテン、島貫丞選手の宣誓を聞いて、
改めて野球っていいな、と感じた。
「いや、それは、あなたがもともと野球ファンだからだよ」
というツッコミもありそうだが、まあそのとおりかもしれない。
宣誓の最初のフレーズは、
「今日ここに、高校球児の憧れの舞台である甲子園が、戻ってきました。」
である。
甲子園が戻ってきた。
嬉しい言葉である。
そして、コロナで揺れたこの1年を振り返り、3つの言葉を連ねる。
「感謝 ありがとうございます。
これは出場校全ての選手、全国の高校球児のおもいです。
感動 喜びを分かち合える仲間とともに、甲子園で野球ができることに感動しています。
希望 失った過去を未来に求めて。希望を語り、実現する世の中に。」
野球ができる喜び、甲子園の土を踏めたことへの感謝。
ここに至るまでに、多くの大人たちが人知れず苦労を重ねたことをちゃんとわかっている。
心が震える感動。
先を見る希望。
続けて宣誓では、震災からの10年を振り返る。
そして、
「これからの10年。私たちが新しい日本の力になれるように、歩み続けます。」
と決意を語る。
君たちの10年を楽しみにしている。
締めはこちら。
「春はセンバツから。穏やかで鮮やかな春、そして1年となりますように。
2年分の甲子園。一投一打に多くのおもいを込めて、プレーすることを誓います。」
正直なところ、センバツは夏の甲子園と比べると盛り上がりに欠ける。
キャッチフレーズとして「春はセンバツから」と言われても、今一つしっくり来ない気がすることもあった。
しかし、2年ぶりのセンバツを見ていると、やはりいいものだなと思う。
素敵な1年に向けて。
春はセンバツから。
日本において野球は特別な存在だと思う。
プロスポーツとして長く人気を保っているし、
甲子園は他の学生スポーツとはまったくレベルの違う注目を集める。
野球を続けるのは、なかなか大変だ。
注目度が高いことに加え、
用具を揃えるだけでも他のスポーツより費用が掛かるし、
強い高校に入れば遠征やらなにやらでさらに負担は増す。
だから、選手たちの意識も少し違ったものになる。
そうした意識が悪い面に出ることもあるが、いい面でのプライドとして現れることもある。
2年ぶりに始まったセンバツにおける仙台育英高校キャプテン、島貫丞選手の宣誓を聞いて、
改めて野球っていいな、と感じた。
「いや、それは、あなたがもともと野球ファンだからだよ」
というツッコミもありそうだが、まあそのとおりかもしれない。
宣誓の最初のフレーズは、
「今日ここに、高校球児の憧れの舞台である甲子園が、戻ってきました。」
である。
甲子園が戻ってきた。
嬉しい言葉である。
そして、コロナで揺れたこの1年を振り返り、3つの言葉を連ねる。
「感謝 ありがとうございます。
これは出場校全ての選手、全国の高校球児のおもいです。
感動 喜びを分かち合える仲間とともに、甲子園で野球ができることに感動しています。
希望 失った過去を未来に求めて。希望を語り、実現する世の中に。」
野球ができる喜び、甲子園の土を踏めたことへの感謝。
ここに至るまでに、多くの大人たちが人知れず苦労を重ねたことをちゃんとわかっている。
心が震える感動。
先を見る希望。
続けて宣誓では、震災からの10年を振り返る。
そして、
「これからの10年。私たちが新しい日本の力になれるように、歩み続けます。」
と決意を語る。
君たちの10年を楽しみにしている。
締めはこちら。
「春はセンバツから。穏やかで鮮やかな春、そして1年となりますように。
2年分の甲子園。一投一打に多くのおもいを込めて、プレーすることを誓います。」
正直なところ、センバツは夏の甲子園と比べると盛り上がりに欠ける。
キャッチフレーズとして「春はセンバツから」と言われても、今一つしっくり来ない気がすることもあった。
しかし、2年ぶりのセンバツを見ていると、やはりいいものだなと思う。
素敵な1年に向けて。
春はセンバツから。
少し見直した日本アカデミー賞 [映画評]
真面目に日本映画を観ている人の多くは、日本アカデミー賞に重きを置いていないと思う。
理由は単純で、選考がひどいからである。
去年の「新聞記者」にはガッカリしたが、
今年の「Fukushima 50」の大量ノミネートにも力が抜けた。
「男はつらいよ お帰り 寅さん」をノミネートするのも、一体どういうことなのか。
男優賞、女優賞についても、選ぶべき人をさっぱり選んでいないように思える。
今年だけではなく、選考に疑問符が付くのはいつものことである。
ここで開催された授賞式にも、正直、まったく期待していなかった。
しかし、最後まで観終わって、少し見直した。
日本アカデミー賞、うん、これはこれで。
選考にはいろいろ言いたいことはあるが、「ミッドナイトスワン」が最優秀作品賞を獲得したのはよかった。
突っ込みどころや「あれ?」と感じるところもある映画だったが、
熱量の高い作品が評価されたのは、映画ファンとしても嬉しい。
主演女優賞を獲得された長澤まさみさんの、映画に対する思いがあふれるスピーチもよかった。
美しい涙に魅せられた。
女優さんたちの華やかな姿、
男優さんたちの粋な振る舞い、
夢のある空間でもあった。
うん、いろいろ言いたいことはあるけれど、
日本アカデミー賞、これはこれで。
ゴールデンタイムで、きらびやかな空間で、映画の話題に浸れる。
日本アカデミー賞ならではである。
もう少し選考をちゃんとしてほしいとは思うが、
まあ日本アカデミー賞、これはこれで。
理由は単純で、選考がひどいからである。
去年の「新聞記者」にはガッカリしたが、
今年の「Fukushima 50」の大量ノミネートにも力が抜けた。
「男はつらいよ お帰り 寅さん」をノミネートするのも、一体どういうことなのか。
男優賞、女優賞についても、選ぶべき人をさっぱり選んでいないように思える。
今年だけではなく、選考に疑問符が付くのはいつものことである。
ここで開催された授賞式にも、正直、まったく期待していなかった。
しかし、最後まで観終わって、少し見直した。
日本アカデミー賞、うん、これはこれで。
選考にはいろいろ言いたいことはあるが、「ミッドナイトスワン」が最優秀作品賞を獲得したのはよかった。
突っ込みどころや「あれ?」と感じるところもある映画だったが、
熱量の高い作品が評価されたのは、映画ファンとしても嬉しい。
主演女優賞を獲得された長澤まさみさんの、映画に対する思いがあふれるスピーチもよかった。
美しい涙に魅せられた。
女優さんたちの華やかな姿、
男優さんたちの粋な振る舞い、
夢のある空間でもあった。
うん、いろいろ言いたいことはあるけれど、
日本アカデミー賞、これはこれで。
ゴールデンタイムで、きらびやかな空間で、映画の話題に浸れる。
日本アカデミー賞ならではである。
もう少し選考をちゃんとしてほしいとは思うが、
まあ日本アカデミー賞、これはこれで。
同性婚判決に関する報道への違和感 [ヨモヤ]
同性による結婚が認められないのは、憲法で保障された「婚姻の自由」や「平等原則」に反するとして、
北海道の同性カップルが国に損害賠償を求めた訴訟の判決が出された。
この判決結果について、以下のような報道がなされている。
NHK
同性婚訴訟で初の違憲判断 “合理的な根拠欠いた差別的扱い”
朝日新聞
同性婚の不受理、初の違憲判断 札幌地裁「差別的扱い」
毎日新聞
同性婚否定は「違憲」 人権尊重した画期的判断
原告が完全勝訴したような報道ぶりであり、
記事を読めば、誰でも同性婚を認める判決が出たと思うだろう。
しかし、判決文を読むと、そのようには解釈しにくい。
同性婚に賛成反対といった立場からではなく、素直に判決文を読んでみたい。
まず、主文は以下のとおりである。
◯主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
ここで「あれ?」と思う。
原告の請求が退けられているからである。
ただ、内容的に認められている場合もあるので、奥を読んでみる。
◯判決骨子
1 同性間の婚姻を認める規定を設けていない民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定(以下「本件規定」という。)は,憲法24条1項及び2項には違反しない。
2 本件規定は,憲法13条には違反しない。
3 本件規定が,同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する。
4 本件規定を改廃していないことが,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。
またまた「あれ?」と思う。
新聞を読むと、同性婚を認めないのは違憲であると裁判所が判断したかのように報じられているが、
骨子の1で、明確に憲法に違反しないと述べている。
3に、「同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する」と書いてあるので、ここをとらえて違憲と書いているのだろうと思われる。
しかし、よく読めばわかるように、というより書いてあるままなのだが、
婚姻によって生じる法的効果の一部すらも享受させないのはおかしく、
この限度で憲法14条に違反すると言っているのである。
これを「同性婚を認めないのは違憲」と伝えるのは、飛躍があるように感じられる。
ちなみに、ここでひかれている憲法の条文は、それぞれ以下のとおり。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
判決文のさらに奥を読むと、
「憲法24条が「両性」など男女を想起させる文言を用いていることにも照らせば,同条は異性婚について定めたものであり,同性婚について定めるものではないと解するのが相当である。」
という記述もあり、24条が同性婚を想定していないことをはっきり述べている。
つまり、判決文を素直に解釈すると、
・憲法24条に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」とはっきり書いてあり、現行の規定は憲法違反ではないこと
・同性愛者の方々に、婚姻によって生じる法的効果を全く認めないのは、その限度で憲法14条に違反すること
を言っていると考えられる。
今回の判決については、請求は棄却されたものの、原告の方々も喜ばれたそうである。
だからこそ、マスコミにはなおさらしっかり伝えてほしい。
判決が、憲法24条の規定は同性婚を想定していないと述べたこともきちんと伝え、
矛盾を解くためには、この条文を変える必要があることも言うべきではないだろうか。
報道からは、なにやら不自然で不健康なものを感じてしまった。
北海道の同性カップルが国に損害賠償を求めた訴訟の判決が出された。
この判決結果について、以下のような報道がなされている。
NHK
同性婚訴訟で初の違憲判断 “合理的な根拠欠いた差別的扱い”
朝日新聞
同性婚の不受理、初の違憲判断 札幌地裁「差別的扱い」
毎日新聞
同性婚否定は「違憲」 人権尊重した画期的判断
原告が完全勝訴したような報道ぶりであり、
記事を読めば、誰でも同性婚を認める判決が出たと思うだろう。
しかし、判決文を読むと、そのようには解釈しにくい。
同性婚に賛成反対といった立場からではなく、素直に判決文を読んでみたい。
まず、主文は以下のとおりである。
◯主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
ここで「あれ?」と思う。
原告の請求が退けられているからである。
ただ、内容的に認められている場合もあるので、奥を読んでみる。
◯判決骨子
1 同性間の婚姻を認める規定を設けていない民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定(以下「本件規定」という。)は,憲法24条1項及び2項には違反しない。
2 本件規定は,憲法13条には違反しない。
3 本件規定が,同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する。
4 本件規定を改廃していないことが,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。
またまた「あれ?」と思う。
新聞を読むと、同性婚を認めないのは違憲であると裁判所が判断したかのように報じられているが、
骨子の1で、明確に憲法に違反しないと述べている。
3に、「同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する」と書いてあるので、ここをとらえて違憲と書いているのだろうと思われる。
しかし、よく読めばわかるように、というより書いてあるままなのだが、
婚姻によって生じる法的効果の一部すらも享受させないのはおかしく、
この限度で憲法14条に違反すると言っているのである。
これを「同性婚を認めないのは違憲」と伝えるのは、飛躍があるように感じられる。
ちなみに、ここでひかれている憲法の条文は、それぞれ以下のとおり。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
判決文のさらに奥を読むと、
「憲法24条が「両性」など男女を想起させる文言を用いていることにも照らせば,同条は異性婚について定めたものであり,同性婚について定めるものではないと解するのが相当である。」
という記述もあり、24条が同性婚を想定していないことをはっきり述べている。
つまり、判決文を素直に解釈すると、
・憲法24条に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」とはっきり書いてあり、現行の規定は憲法違反ではないこと
・同性愛者の方々に、婚姻によって生じる法的効果を全く認めないのは、その限度で憲法14条に違反すること
を言っていると考えられる。
今回の判決については、請求は棄却されたものの、原告の方々も喜ばれたそうである。
だからこそ、マスコミにはなおさらしっかり伝えてほしい。
判決が、憲法24条の規定は同性婚を想定していないと述べたこともきちんと伝え、
矛盾を解くためには、この条文を変える必要があることも言うべきではないだろうか。
報道からは、なにやら不自然で不健康なものを感じてしまった。
震災後10年 東京電力の当事者意識 [ヨモヤ]
東日本大震災から10年が経過した。
大きな揺れ、
津波、
原発事故、
と三重苦に見舞われ、未曽有の被害が生じた。
そして震災後、それぞれに対策が進められた。
揺れに対しては耐震化の徹底、
津波に対しては防潮堤の建設、
そして原発に対しては、新たな規制基準のもと、徹底した審査が実施されることとなった。
震災の際に起きたことについては、反省すべき点が多々あるのは確かだが、
事前には想定しにくい面があったもの確かだろう。
だから、しっかり対処して、教訓を活かすことができれば、あの大災害も無駄ではなかったということになる。
しかし、活かせていないとなると、大きな失望を生むことは避けられない。
震災への対応では、東京電力が強い批判を浴びた。
取り返しがつかないような過ちも数々あったようだが、せめてそれを教訓として活かしていれば、次につながる。
そして、あれだけの批判を受けたのだから、活かされているはずだと信じたい。
だが、そうした期待と信頼を裏切るような調査結果が発表された。
柏崎刈羽原発で、侵入者を検知するセキュリティ施設の故障が複数個所で放置されていたことが見つかったのである。
これだけでも重大な過失だが、
東京電力は故障を認知しながら有効な措置を講じていなかったのだという。
調査委員会は、核セキュリティ上、最も「深刻」との評価で一致したというが、それも当然だろう。
昨年の9月には、東電職員が他人のIDカードを不正使用し中央制御室に入域した事案が発覚したばかりだが、こうも立て続けに不祥事が発覚すると、こうした事例も氷山の一角に過ぎないのではないかと心配になる。
安全対策は、まったく機能していないのではないか、
そもそも、そこに最大限の力を注がなければならないという思いさえ共有されていないのではないか、
そんな風にさえ思えてしまう。
大震災から10年経ち、環境問題がクローズアップされるなかで、
原子力発電を見直すべきとの声も上がっている。
しかし、東京電力の状況を見ると、首を傾げざるを得ない。
しっかり管理できるような気がしないからである。
当事者意識があるのかということさえ、疑わしくなってしまう。
猛省をうながしたいところだが、あの大災害をさえ教訓にできないのだとすれば、
反省を求めることなど、到底無理なことなのかと思えてしまう。
本当に悲しいことだが。
大きな揺れ、
津波、
原発事故、
と三重苦に見舞われ、未曽有の被害が生じた。
そして震災後、それぞれに対策が進められた。
揺れに対しては耐震化の徹底、
津波に対しては防潮堤の建設、
そして原発に対しては、新たな規制基準のもと、徹底した審査が実施されることとなった。
震災の際に起きたことについては、反省すべき点が多々あるのは確かだが、
事前には想定しにくい面があったもの確かだろう。
だから、しっかり対処して、教訓を活かすことができれば、あの大災害も無駄ではなかったということになる。
しかし、活かせていないとなると、大きな失望を生むことは避けられない。
震災への対応では、東京電力が強い批判を浴びた。
取り返しがつかないような過ちも数々あったようだが、せめてそれを教訓として活かしていれば、次につながる。
そして、あれだけの批判を受けたのだから、活かされているはずだと信じたい。
だが、そうした期待と信頼を裏切るような調査結果が発表された。
柏崎刈羽原発で、侵入者を検知するセキュリティ施設の故障が複数個所で放置されていたことが見つかったのである。
これだけでも重大な過失だが、
東京電力は故障を認知しながら有効な措置を講じていなかったのだという。
調査委員会は、核セキュリティ上、最も「深刻」との評価で一致したというが、それも当然だろう。
昨年の9月には、東電職員が他人のIDカードを不正使用し中央制御室に入域した事案が発覚したばかりだが、こうも立て続けに不祥事が発覚すると、こうした事例も氷山の一角に過ぎないのではないかと心配になる。
安全対策は、まったく機能していないのではないか、
そもそも、そこに最大限の力を注がなければならないという思いさえ共有されていないのではないか、
そんな風にさえ思えてしまう。
大震災から10年経ち、環境問題がクローズアップされるなかで、
原子力発電を見直すべきとの声も上がっている。
しかし、東京電力の状況を見ると、首を傾げざるを得ない。
しっかり管理できるような気がしないからである。
当事者意識があるのかということさえ、疑わしくなってしまう。
猛省をうながしたいところだが、あの大災害をさえ教訓にできないのだとすれば、
反省を求めることなど、到底無理なことなのかと思えてしまう。
本当に悲しいことだが。
映画評 「ブレイブ -群青戦記-」 [映画評]
本広克行監督作品。
「踊る大捜査線」で知られる本広監督だが、「亜人」もとてもよかった。
去年公開された「ビューティフルドリーマー」も、批判的に観る人が多いようだが、個人的にはドンピシャのツボだった。
本作の荒唐無稽な設定は、本広監督なら上手に活かされるのではないかと期待した。
チケットを買うとき、
「え?PG12?」
とちょっと驚いた。(まあ、「鬼滅の刃」もPG12なのだが)
お気楽なトンデモドンパチ映画だと思っていたからだが、映画が始まってすぐ、その意味を了解した。
戦国時代にタイムスリップした高校生たちが、野武士たちにどしどしやられてしまうのである。
力を合わせて、知恵や工夫でなんとか乗り切る系かと思っていただけに、この展開は意外。
しかしまあ、戦国時代の戦場にいきなり飛ばされたという設定なので、あり得ると言えばあり得る。
描写は結構えぐいので、人が切られたり、死んだりする映像は無理、という人はご注意願いたい。
主演は新田真剣佑さん。
かなり強引な展開を見せる脚本で、演じるのは大変だったと思う。
戦国武将役を演じられた三浦春馬さんと松山ケンイチさんがさすがの存在感。
ヒロインに山崎紘菜さん。
山崎さんは、TOHOシネマズのナビゲーター役として映画上映前に登場されているので、よくお会いしているような気になる。
高校生役の皆さんは、ワーワー元気に演じられていた。
めちゃくちゃな展開ながら、概ね楽しく観たのだが、
クライマックスでの敵役との格闘シーンが長過ぎたのが残念。
そのシーンにつながる必然性も含め、ここはない方がよかった。
戦国時代に高校生が学校ごと飛ばされるという展開は荒唐無稽ではあるが、、
何十年も前に「戦国自衛隊」という映画が作られているくらいだから、
設定自体はそれほど目新しいものではない。
楳図かずおさんの「漂流教室」の方がずっと強烈である。
スポーツエリート校が飛ばされた、というのがちょっと面白いが。
本広監督作品であり、
やりたい放題できそうな設定ということで、
大きな期待を持って観に行ったのだが、
どしどし人が殺される以外は、あまり驚きはなくワクワクもなく。
それなりに楽しめるが、それなりまでだった。
ちょっともったいない。
「踊る大捜査線」で知られる本広監督だが、「亜人」もとてもよかった。
去年公開された「ビューティフルドリーマー」も、批判的に観る人が多いようだが、個人的にはドンピシャのツボだった。
本作の荒唐無稽な設定は、本広監督なら上手に活かされるのではないかと期待した。
チケットを買うとき、
「え?PG12?」
とちょっと驚いた。(まあ、「鬼滅の刃」もPG12なのだが)
お気楽なトンデモドンパチ映画だと思っていたからだが、映画が始まってすぐ、その意味を了解した。
戦国時代にタイムスリップした高校生たちが、野武士たちにどしどしやられてしまうのである。
力を合わせて、知恵や工夫でなんとか乗り切る系かと思っていただけに、この展開は意外。
しかしまあ、戦国時代の戦場にいきなり飛ばされたという設定なので、あり得ると言えばあり得る。
描写は結構えぐいので、人が切られたり、死んだりする映像は無理、という人はご注意願いたい。
主演は新田真剣佑さん。
かなり強引な展開を見せる脚本で、演じるのは大変だったと思う。
戦国武将役を演じられた三浦春馬さんと松山ケンイチさんがさすがの存在感。
ヒロインに山崎紘菜さん。
山崎さんは、TOHOシネマズのナビゲーター役として映画上映前に登場されているので、よくお会いしているような気になる。
高校生役の皆さんは、ワーワー元気に演じられていた。
めちゃくちゃな展開ながら、概ね楽しく観たのだが、
クライマックスでの敵役との格闘シーンが長過ぎたのが残念。
そのシーンにつながる必然性も含め、ここはない方がよかった。
戦国時代に高校生が学校ごと飛ばされるという展開は荒唐無稽ではあるが、、
何十年も前に「戦国自衛隊」という映画が作られているくらいだから、
設定自体はそれほど目新しいものではない。
楳図かずおさんの「漂流教室」の方がずっと強烈である。
スポーツエリート校が飛ばされた、というのがちょっと面白いが。
本広監督作品であり、
やりたい放題できそうな設定ということで、
大きな期待を持って観に行ったのだが、
どしどし人が殺される以外は、あまり驚きはなくワクワクもなく。
それなりに楽しめるが、それなりまでだった。
ちょっともったいない。
すべてのソーシャルレンディングがよろしくないとは限らないが [診断士的経済アプローチ]
一時期、「ソーシャルレンディング」が新しい形の金融の形として注目を集めた。
ソーシャルレンディングとは、Wikiによる定義をかいつまむと、
「ネット上で『お金を借りたい人』と『お金を貸したい人』を結びつける融資仲介サービス」
というものである。
お金を借りたい人と貸したい人は、通常金融市場で出会う。
銀行などの金融機関が最もわかりやすい形だし、
株式を発行するというパターンもある。
しかし、お金を借りたい人の中には、金融機関からの融資に苦戦することもある。
金融機関は、実績や担保を重視するため、
新しく起こした企業にはハードルが高い面があるからである。
また、株式を発行しようにもノウハウも引き受け手もないこともある。
そのため、せっかく技術力があったり、見込み客がいたりしても、資金がないために、手をこまねいているばかりとなりかねない。
一方、運用できるお金を持ちながら、ほとんど遊ばせてしまっている人もいる。
銀行に預けても、信じられないくらいの低い利息しか付かないし、
上がり下がりの激しい株式には投資したくないからである。
そこで、ソーシャルレンディングの出番となる。
借りる側は、自らの強みをアピールして出資を募る。
貸す側は、魅力的な起業を探し、有利な利回りでお金を運用する。
うまく回ればとてもいい仕組みである。
しかし、金融機関からお金を調達できない企業が、高い利率の借入金を返済できるだろうか。
実績のない企業が、見込み通りに事業を展開し、利益を上げられるだろうか。
少し考えるだけで、かなりリスクがある仕組みだとわかる。
さらにリスクと利回りが合っているかどうかにも検討の余地がある。
ここで、ソーシャルレンディング会社が、maneoマーケットから破産を申し立てられたとの記事が掲載されていた。
これは特別な事例ではなく、いくつものソーシャルレンディング会社が金融庁から指導を受けている。
投資家に損失を与えている事例も少なくない。
ソーシャルレンディングは新しい仕組みであり、まだ試行錯誤の時期と言えるだろう。
しっかりと運用している事例も、もちろんあるのだと思う。
うまく回るようになれば、新たな金融インフラになる可能性もある。
ただ、現時点では、十分にリスクを見分ける必要がある。
ソーシャルレンディング会社に信用がおけるかどうか、
投資を募っている企業が大丈夫かどうか。
低いリスクで高い利回りを得られるはずはない、
という当たり前のことを肝に命じながら。
ソーシャルレンディングとは、Wikiによる定義をかいつまむと、
「ネット上で『お金を借りたい人』と『お金を貸したい人』を結びつける融資仲介サービス」
というものである。
お金を借りたい人と貸したい人は、通常金融市場で出会う。
銀行などの金融機関が最もわかりやすい形だし、
株式を発行するというパターンもある。
しかし、お金を借りたい人の中には、金融機関からの融資に苦戦することもある。
金融機関は、実績や担保を重視するため、
新しく起こした企業にはハードルが高い面があるからである。
また、株式を発行しようにもノウハウも引き受け手もないこともある。
そのため、せっかく技術力があったり、見込み客がいたりしても、資金がないために、手をこまねいているばかりとなりかねない。
一方、運用できるお金を持ちながら、ほとんど遊ばせてしまっている人もいる。
銀行に預けても、信じられないくらいの低い利息しか付かないし、
上がり下がりの激しい株式には投資したくないからである。
そこで、ソーシャルレンディングの出番となる。
借りる側は、自らの強みをアピールして出資を募る。
貸す側は、魅力的な起業を探し、有利な利回りでお金を運用する。
うまく回ればとてもいい仕組みである。
しかし、金融機関からお金を調達できない企業が、高い利率の借入金を返済できるだろうか。
実績のない企業が、見込み通りに事業を展開し、利益を上げられるだろうか。
少し考えるだけで、かなりリスクがある仕組みだとわかる。
さらにリスクと利回りが合っているかどうかにも検討の余地がある。
ここで、ソーシャルレンディング会社が、maneoマーケットから破産を申し立てられたとの記事が掲載されていた。
これは特別な事例ではなく、いくつものソーシャルレンディング会社が金融庁から指導を受けている。
投資家に損失を与えている事例も少なくない。
ソーシャルレンディングは新しい仕組みであり、まだ試行錯誤の時期と言えるだろう。
しっかりと運用している事例も、もちろんあるのだと思う。
うまく回るようになれば、新たな金融インフラになる可能性もある。
ただ、現時点では、十分にリスクを見分ける必要がある。
ソーシャルレンディング会社に信用がおけるかどうか、
投資を募っている企業が大丈夫かどうか。
低いリスクで高い利回りを得られるはずはない、
という当たり前のことを肝に命じながら。
静かなお花見も またよき哉 [ヨモヤ]
3月14日、東京でソメイヨシノの開花が発表された。
昨年と並び、観測史上最も早い開花であるという。
平年よりは12日早い。
暖かい冬だった昨年と違い、
今年は寒い日が続いたが、
2月の気温が高かったことから、早い開花につながったとのことである。
花見と言えば、「花より団子」と言われるくらい飲み食い宴会が定番である。
特に上野公園では、異世界であるかのような派手などんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。
しかし、今年は、昨年に続き自粛である。
満開の桜の下で、騒ぎに騒ぐことを楽しみに生きておられる方にとっては大変残念なことだろうが、
これは仕方がない。
来年こそは、を心に期して、騒ぐのは控えていただきたい。
短い期間に咲き誇り、
パッと散ってしまう桜は、
日本人の心情に訴えかけるものがある。
騒げない今年は、しみじみ眺める機会である。
変わらずに咲いてくれたことに感謝しながら、何事かに思いをはせたい。
3月は別れの季節でもある。
卒業の時期でもある。
あの人のことを思いながら、桜を眺めよう。
あの時のことを振り返りながら、花を愛でよう。
こんな春がこれきりであることを願いながら。
昨年と並び、観測史上最も早い開花であるという。
平年よりは12日早い。
暖かい冬だった昨年と違い、
今年は寒い日が続いたが、
2月の気温が高かったことから、早い開花につながったとのことである。
花見と言えば、「花より団子」と言われるくらい飲み食い宴会が定番である。
特に上野公園では、異世界であるかのような派手などんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。
しかし、今年は、昨年に続き自粛である。
満開の桜の下で、騒ぎに騒ぐことを楽しみに生きておられる方にとっては大変残念なことだろうが、
これは仕方がない。
来年こそは、を心に期して、騒ぐのは控えていただきたい。
短い期間に咲き誇り、
パッと散ってしまう桜は、
日本人の心情に訴えかけるものがある。
騒げない今年は、しみじみ眺める機会である。
変わらずに咲いてくれたことに感謝しながら、何事かに思いをはせたい。
3月は別れの季節でもある。
卒業の時期でもある。
あの人のことを思いながら、桜を眺めよう。
あの時のことを振り返りながら、花を愛でよう。
こんな春がこれきりであることを願いながら。
エスカレーターを歩かない走らないを広めたい [ヨモヤ]
埼玉県議会の総務県民生活委員会が、
自民党県議団提出の「エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例案」を可決した。
本会議での採決はもう少し先だが、成立する見通しとのことである。
条例は、立ち止まった状態でエスカレーターを利用することなどを定めるものである。
つまり、片側を空けることを戒めている。
管理者は利用者に対して安全利用を周知し、
県には安全利用に関する施策を実施することなどを求めている。
罰則規定はないようだ。
エスカレーターを駆け上がるのは危険だということは多くの人が了解しているだろう。
ただ、なにも条例化しなくても、と感じる方も少なくないと思う。
「モラルの話ではないか」
「走らなければいいだけで、片側を歩いてそんなに悪いか」
「急いでいる人はどうしたらいいのか」
など、条例化には賛成しかねるという意見も少なくないだろう。
しかし、エスカレーターの片側を空け、そちらを通行することに問題は多いのである。
まずは、危険である。
なんでも、2018年1月~19年12月に把握したエスカレーター事故の件数は1,550件で、
うち963件(62.1%)が転倒によるものなのだそうだ。
歩いたり走ったりしている本人だけではなく、周りの方にも被害を与えている。
また、片側を空けることが習慣化してしまっていることによる不都合も多々ある。
例えば、小さい子を連れている場合、隣に並ばせたいところだが、
そうしていると空いている方を通って来た人から迷惑がられる。
悪いことをしているわけでもないのに。
また、関東では左側に寄ることになっているが、怪我をしていたり、障害があったりで、
左側に寄れない人もいる。
関西では右側に寄ることになっているが、同様に右側に寄れない人もいる。
そうした方が肩身の狭い思いをするのはやはりおかしい。
片側を空けるがために、行列が長くなってしまっている点もデメリットである。
もちろん、たとえどんなにデメリットが多くても、条例化には違和感があるという気持ちもわかる。
ただ、なにもしなければ、きっと習慣は変わらない、というのも事実だろう。
条例が可決されても、おそらくしばらくの間は何も変わらないだろう。
しかし、エスカレーターを駆け上がる人は、
右側にいる人に舌打ちをする人は、
是非、少し考えていただきたい。
片側を空けるデメリットを。
この習慣で困っている人がいることを。
自民党県議団提出の「エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例案」を可決した。
本会議での採決はもう少し先だが、成立する見通しとのことである。
条例は、立ち止まった状態でエスカレーターを利用することなどを定めるものである。
つまり、片側を空けることを戒めている。
管理者は利用者に対して安全利用を周知し、
県には安全利用に関する施策を実施することなどを求めている。
罰則規定はないようだ。
エスカレーターを駆け上がるのは危険だということは多くの人が了解しているだろう。
ただ、なにも条例化しなくても、と感じる方も少なくないと思う。
「モラルの話ではないか」
「走らなければいいだけで、片側を歩いてそんなに悪いか」
「急いでいる人はどうしたらいいのか」
など、条例化には賛成しかねるという意見も少なくないだろう。
しかし、エスカレーターの片側を空け、そちらを通行することに問題は多いのである。
まずは、危険である。
なんでも、2018年1月~19年12月に把握したエスカレーター事故の件数は1,550件で、
うち963件(62.1%)が転倒によるものなのだそうだ。
歩いたり走ったりしている本人だけではなく、周りの方にも被害を与えている。
また、片側を空けることが習慣化してしまっていることによる不都合も多々ある。
例えば、小さい子を連れている場合、隣に並ばせたいところだが、
そうしていると空いている方を通って来た人から迷惑がられる。
悪いことをしているわけでもないのに。
また、関東では左側に寄ることになっているが、怪我をしていたり、障害があったりで、
左側に寄れない人もいる。
関西では右側に寄ることになっているが、同様に右側に寄れない人もいる。
そうした方が肩身の狭い思いをするのはやはりおかしい。
片側を空けるがために、行列が長くなってしまっている点もデメリットである。
もちろん、たとえどんなにデメリットが多くても、条例化には違和感があるという気持ちもわかる。
ただ、なにもしなければ、きっと習慣は変わらない、というのも事実だろう。
条例が可決されても、おそらくしばらくの間は何も変わらないだろう。
しかし、エスカレーターを駆け上がる人は、
右側にいる人に舌打ちをする人は、
是非、少し考えていただきたい。
片側を空けるデメリットを。
この習慣で困っている人がいることを。
映画評 「太陽は動かない」 [映画評]
羽住英一郎さん監督のスパイ映画。
羽住さんは、「海猿」シリーズで知られる監督で、本作でもアクションが炸裂している。
邦画にしては珍しくというべきか、
しっかりお金をかけて撮られた感がある。
しかも、それが映画の冒頭から続く。
なかなか気合が入ってる。
この映画が普通のスパイ映画とちょっと違うところは、藤原さん演じる主人公の幼少期も描かれること。
もちろん、それが現在にもつながるのだが、観る側とすると印象が散漫になってしまった感は否めない。
奥行きを与えているかというと、むしろマイナスの効果の方が大きかった気がする。
テンポ的にも、ない方がよかったかもしれない。
オチはちょっとクスっとしたが。
また、アクションシーンには気合が入っているのだが、
アクションに至るまでの経緯の描き方はかなり雑。
そのため、ハラハラするというより、漫画チックになってしまっている。
しかしまあ、本作は、あまり深く考えずに観るのが正解だと思う。
ネットには、わけがわからないとか、展開がめちゃくちゃとか、いろいろな書き込みが見られ、
まったくそのとおりなのだが、
そういうことを考えずに(考えてはしまうが)、口をあんぐり開けて観ていれば、
それなりに楽しめる。
そういう見方がいい。
主演は藤原竜也さん。
相変わらずのカッコよさである。
相棒役に竹内涼真さん。
大げさな演技だが、今作ではこんな感じでいいのかもしれない。
「太陽は動かない」は、わかりやすい娯楽アクション映画。
わかりやすいということを美点ととらえ、深く突っ込まなければそれなりに観ることができる。
最初のシーンからぶっ飛ばす邦画というのもあまりないから、素朴に楽しもう。
羽住さんは、「海猿」シリーズで知られる監督で、本作でもアクションが炸裂している。
邦画にしては珍しくというべきか、
しっかりお金をかけて撮られた感がある。
しかも、それが映画の冒頭から続く。
なかなか気合が入ってる。
この映画が普通のスパイ映画とちょっと違うところは、藤原さん演じる主人公の幼少期も描かれること。
もちろん、それが現在にもつながるのだが、観る側とすると印象が散漫になってしまった感は否めない。
奥行きを与えているかというと、むしろマイナスの効果の方が大きかった気がする。
テンポ的にも、ない方がよかったかもしれない。
オチはちょっとクスっとしたが。
また、アクションシーンには気合が入っているのだが、
アクションに至るまでの経緯の描き方はかなり雑。
そのため、ハラハラするというより、漫画チックになってしまっている。
しかしまあ、本作は、あまり深く考えずに観るのが正解だと思う。
ネットには、わけがわからないとか、展開がめちゃくちゃとか、いろいろな書き込みが見られ、
まったくそのとおりなのだが、
そういうことを考えずに(考えてはしまうが)、口をあんぐり開けて観ていれば、
それなりに楽しめる。
そういう見方がいい。
主演は藤原竜也さん。
相変わらずのカッコよさである。
相棒役に竹内涼真さん。
大げさな演技だが、今作ではこんな感じでいいのかもしれない。
「太陽は動かない」は、わかりやすい娯楽アクション映画。
わかりやすいということを美点ととらえ、深く突っ込まなければそれなりに観ることができる。
最初のシーンからぶっ飛ばす邦画というのもあまりないから、素朴に楽しもう。
発足前から前途多難なデジタル庁 [ヨモヤ]
役所にとって、議案を出すことは一大事である。
間違いがないように、慎重のうえにも慎重を期す。
特に、注目度の高い新しい法案を提出する際には、
関連部署と念入りに調整し、
繰り返し読み合わせを行い、
間違いがないように細心の注意を払うものだと思う。
しかし、今国会において提出された、
デジタル庁創設などを目指した「デジタル改革関連法案」の関係資料に、
大量の間違いがあったことが発覚してしまった。
その数は45カ所にものぼるといい、政府が陳謝する騒ぎとなった。
これを受けて加藤官房長官は、
「今後は緊張感を持って対応していく」
と述べられた。
これだけでも相当に恥ずかしい話だが、そのわずか2日後、
誤記を修正するための正誤表にもミスが発生してしまった。
そのため、「正誤表の正誤表」を提出する事態となった。
加藤官房長官は
「誤りが二度と生じない体制を作っていきたい」
とおっしゃったそうだが、ひどくばつが悪い思いをされたことだろう。
人間だから、どうしてもミスは生まれてしまう。
二重三重のチェック体制を取られていることと思うが、それでもそれをくぐりぬけて間違ったまま成果物となってしまうことはある。
あってはならないことだが、まれにあってしまう。
ただ、これだけ注目される案件で、「正誤表の正誤表」にまでなってしまうと、さすがに信頼感が損なわれるとの批判が出るのもやむを得ない。
今時、法案のチェックも、かなりの部分をソフトがやってくれているはずである。
それが間違っているとなると、今回の法案もさることながら、組織のデジタルリテラシーがちょっと心配になる。
デジタル庁を作るのだから、法案を作られた方々は日本一のデジタル集団であってもおかしくないのだが。
菅政権の看板政策の一つであるデジタル庁の創設が、いきなり躓いた格好である。
しかし、だからといって発足するデジタル庁がうまくいかないと決まったわけではない。
振り返って、このことが笑い話になるような立派な組織になっていくことを祈りたい。
最初はいろいろあったけど、今や世界一のデジタル先進国になった、
と数年後に振り返れたら素敵である。
間違いがないように、慎重のうえにも慎重を期す。
特に、注目度の高い新しい法案を提出する際には、
関連部署と念入りに調整し、
繰り返し読み合わせを行い、
間違いがないように細心の注意を払うものだと思う。
しかし、今国会において提出された、
デジタル庁創設などを目指した「デジタル改革関連法案」の関係資料に、
大量の間違いがあったことが発覚してしまった。
その数は45カ所にものぼるといい、政府が陳謝する騒ぎとなった。
これを受けて加藤官房長官は、
「今後は緊張感を持って対応していく」
と述べられた。
これだけでも相当に恥ずかしい話だが、そのわずか2日後、
誤記を修正するための正誤表にもミスが発生してしまった。
そのため、「正誤表の正誤表」を提出する事態となった。
加藤官房長官は
「誤りが二度と生じない体制を作っていきたい」
とおっしゃったそうだが、ひどくばつが悪い思いをされたことだろう。
人間だから、どうしてもミスは生まれてしまう。
二重三重のチェック体制を取られていることと思うが、それでもそれをくぐりぬけて間違ったまま成果物となってしまうことはある。
あってはならないことだが、まれにあってしまう。
ただ、これだけ注目される案件で、「正誤表の正誤表」にまでなってしまうと、さすがに信頼感が損なわれるとの批判が出るのもやむを得ない。
今時、法案のチェックも、かなりの部分をソフトがやってくれているはずである。
それが間違っているとなると、今回の法案もさることながら、組織のデジタルリテラシーがちょっと心配になる。
デジタル庁を作るのだから、法案を作られた方々は日本一のデジタル集団であってもおかしくないのだが。
菅政権の看板政策の一つであるデジタル庁の創設が、いきなり躓いた格好である。
しかし、だからといって発足するデジタル庁がうまくいかないと決まったわけではない。
振り返って、このことが笑い話になるような立派な組織になっていくことを祈りたい。
最初はいろいろあったけど、今や世界一のデジタル先進国になった、
と数年後に振り返れたら素敵である。