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五輪はもともと公平ではないけれど [ヨモヤ]

東京オリンピック開催の是非について、いろいろな意見が交わされている。
議論がなされることは悪いことではないので、考えを深めていきたい。
ただ、願わくば建設的で、
誰かを貶めるためのものではありませんように。

議論の中で、
「コロナ禍で練習が難しい国もあるはずで、そのなかでの開催は不公平ではないか」
「来日が無理な国があるのなら開催すべきではない」
といって意見が見られる。
やさしい気持ちからの意見で(だといいけれど)、感情的にはわからなくはない。
しかし、オリンピックに完全な公平はそもそもあり得るだろうか。

こちらは、リオ五輪における金メダル獲得数の国別順位である。
1 米国
2 英国
3 中国
4 ロシア
5 ドイツ
6 日本
7 フランス
8 韓国
9 イタリア
10 豪州

見てわかるとおり、経済大国とされる国々が並んでいる。
人口順でベスト10に入っている
インド、インドネシア、パキスタン、ブラジル、ナイジェリア、バングラデシュ、
といった国の姿は上位にはない。
それどころか、こうした人口大国のなかには、金メダルを一つも取れていない国も少なくない。
冬のオリンピックとなるともっと極端な結果になる。

なぜこうした差が出るのか?
もちろん、環境に差があるのが大きい。
国際大会で勝つためには十分な準備が必要になるが、それが整っていない国は、
五輪では勝てない。
練習が難しい国など、コロナがあろうがなかろうがいくらでもある、ということである。
また、五輪の種目自体に偏りがあるのもメダル数が偏る要因の一つだろう。
欧米で人気がある種目に傾斜しているために、
アジア・アフリカ各国が勝つのは難しくなっている。

しかし、それはそれである。
公平な環境は、おそらく永久に実現しないだろうが、
それでも五輪は開かれる。
そして、勝つ負けを超えた意義が生まれる。
公平ではないにも関わらず、意義があるのか、
公平ではないが、意義があるのか、
公平ではないからこそ、意義があるのか。
どれなのかよくわからないが、五輪にはやはり意義があると思う。
開かれる意味があると思う。

もちろん、今回はパンデミック下の開催であり、普段とは状況が違うということは十分に理解できる。
しかし、公平な環境でないと意味がないというのは、ちょっと違うと思うのである。

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