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これについては声を上げ続けようと思う  ~ 高校野球の投球制限 誰が喜ぶ? ~ [ヨモヤ]

日本人は、とにかく高校野球が好きである。
球場には予選から多くの人が集まるし、
甲子園に出場しようものなら、地元の英雄である。
だから、高校生の部活のルールの変更が、国民的な関心事にまでなる。

今、高校野球で旬な話題は、ピッチャーの投球制限である。
高校生の連投は今に始まったものではないのだが、どういうわけか議論が盛り上がり、
試行的に、新潟県の高野連が、今春の県大会から「1試合100球」の球数制限を導入することにした。
そして、日本高校野球連盟がこれに再考を求めている。

この件について、
Number Web が
「筒香やダルの言葉で考える球数制限。高校野球は誰のためにあるのか。」
という記事を掲載し、
Yahoo!ニュースのスポーツコーナーのトップページに
「投球制限 高校野球誰のため?」
として紹介されている。

この記事を書いた方は、
「高校野球は『子どもたち』のために在るのか、それとも『大人たち』のために在るのか。それが分かれ目だと思う。」
とされている。
投球制限をする方が、子どもたち側とおっしゃりたいようだ。
果たしてそうだろうか。
さらにダルビッシュや筒香の言葉を引いて、決定的なことがあるとおっしゃる。
「それは『球数と連投制限で生まれるメリットは子どもたちにあり、それで生じるデメリットは大人たちにある』という事実だ。」
とされる。
事実、と決めつけておられるが、果たしてそうだろうか。
投球制限を主張する人は高校生の立場に立っていて、制限を設けなくていいと考える人は商売ベース、などと決めつける人が多いが、果たしてそうだろうか。

投球制限を主張される方は、「子どもたちがかわいそう」と高校生を完全に子ども扱いだが、そういうものだろうか。
ダルビッシュや筒香という、ごくごく一部の頂点にいる人間の言葉を普遍的にとらえすぎていないだろうか。
聞くのなら、現役の高校生か、圧倒的多数を占める一般のOBにするべきだろう。

死ぬ気で練習したのに、投げたいのに、投げられるのに投げさせてもらえない方が辛くないだろうか。
打倒を掲げ必死に練習してきた相手に、みすみすぼろ負けしてしまって何が得られるのだろうか。
どこに「子どもたち」のメリットがあるのだろう。
怪我を防ぐことだけを目指すのなら、スポーツとは一体何なのだろう。

ほとんどの高校球児は、高校時代で燃え尽きる覚悟で野球をやっている。
プロを目指してやっている選手は、ごくごく一部である。
投球制限をして高校生を守ろうとされるのは、その先も野球を続けてほしいからなのかもしれないが、はじめからその先などほとんどの選手は考えていない。
プロを意識しているほんの一部の選手のために、全体の規制をするなど、本末転倒ではないか。

人はとかく感情に流されやすいので、投球制限を主張する人の方が、
「子どもたちのことを考えている」
「思いやりがある」
などとなりがちである。
私はそうではないと思うので、小さな声だが上げ続けようと思う。

ちなみに、Number Webの記事はこちらから読める。
今回の私のブログでは、一部を抜粋している。
それではフェアではないとも思えるので、是非全体を読んで、それぞれのお考えを深めていただきたい。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190224-00838421-number-base

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