SSブログ

滋賀県民の悲願は持ち越し ~ 楽しみが先に延びただけ ~ [ヨモヤ]

私は滋賀県の出身である。
田舎者のこととて娯楽が多様なはずもなく、子どものころから野球が好きで、
プロ野球では阪神を熱烈に応援していた。(過去形)
もちろん、甲子園では地元のチームに声援を送りたいところだったのだが、
私が幼少の頃、滋賀県のチームは甲子園に出るのさえ大変だった。

甲子園で勝つのが大変なのではなく、
甲子園に出るのが大変。
なぜなら、滋賀県勢が甲子園に出るためには京都のチームに勝たなければならなかったからである。
これを京津大会又は京滋大会と呼ぶのだが、
1915年から1972年まで計50回行われ、
京都府勢の46勝
滋賀県勢の4勝
という極端な結果であった。
初めて滋賀県勢が勝つまで、実に33連敗・・・。

その後、1974年から1977年までの4年間は、
滋賀県勢が甲子園に出るためには福井のチームに勝たなければならなくなった。
これを福滋大会と呼ぶのだが、4回中、
福井県勢の4勝
滋賀県勢の0勝
というまたもや極端な結果であった。

ちなみに1県1校制となり久しぶりに滋賀県勢が出場した1978年の甲子園は、
一回戦で0-18で敗れた。
だから、甲子園の厳しさを滋賀県民は痛いほどよく知っている。

今年の滋賀県代表は、大会を大いに盛り上げた近江高校。
1回戦が5回途中でノーゲームとなり、
それも加えると準決勝が実に6試合目。
一方の智弁和歌山高校は、
もともと2回戦から登場の予定が相手校の棄権により戦わずして3回戦に進出。
準決勝が3試合目だった。
極端な試合の消化となった両チームが準決勝で対戦したのは皮肉な運命のいたずら。
滋賀県勢としては初の全国制覇まであと2勝だったが、残念だった。
しかし、近江高校の素晴らしい戦いぶりは、多くの人の記憶に残ったことと思う。

しかし、繰り言の一つも言いたくなるところだが、そこまでへこみはしない。
滋賀県出身者は負けることには耐性があるのだ。
勝つことへのちょっとした不安や照れもある。
うちが勝っていいのかしらん、みたいな。
勝っちゃったら楽しみが無くなってしまうんじゃないかしらん、みたいな。

今年は負けたけれど、来年勝てばいい。
来年負けたら、再来年勝てばいい。
気長に楽しみに待っている。

ちなみに、近江高校はお笑いコンビダイアンの津田篤宏さんの出身校。
さて、ダイアンの全国ブレイクが先か、
滋賀県勢の全国制覇が先か。

ちなみに、近江高校の所在地は滋賀県彦根市。
東京オリンピックで、史上初の競泳2冠を獲得した大橋悠依さんの出身地でもある。
彦根市にとっては、なかなか暑い夏になった。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事