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映画評 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」 [映画評]

この映画は、吃音(きつおん)が大きなテーマとなっている。
一般的な病気とは少し違うこの特質を、エンタテインメントで取り上げるのはかなりの難作業だろうと思う。
その難しい課題に挑戦されたことは、ある種の心意気であろう。
しかし、挑戦しただけで評価されるわけではない。
作品としてキチンと成立していなければ、単なる試みに過ぎない。
残念ながら本作は、成功したとまでは言えない。

ストーリーは、
自分の名前も言えない激しい吃音で周囲に溶け込めない志乃は、こちらもクラスで浮いていた加代とひょんなことから知り合いになる。加代は音楽を志していて、歌ならスムーズに声が出る志乃とバンドを組むことになる。二人は徐々に心を開き、路上ライブを行うなど、楽しい夏を過ごす。しかし、そこへ同級生のお調子者が参加してきて風向きが変わってくる・・・
というものである。

前半は、まずまずの展開だった。
あちこち過剰な演出はあったものの、許容できる範囲であり、主演の女の子二人の演技もなかなかだった。
前半を無難にこなした映画を観ているとき、私は、
「その調子、その調子、なんとか最後までしっかりこなしてくださいますように」
と願う。
その願いは叶うこともあれば、叶わないこともある。
この映画では叶わなかった。

後半は、まさにぐずぐず。
男が絡んできて、風向きが変わっていくのだが、その意味が全く伝わらない。
ラストに向けて、頭にクエスチョン・マークをつけさせられたまま走らされてしまう。
最後、主人公が切々と訴えるシーンがあるのだが、そこまでが疑問だらけなので、残念ながら胸に届かない。
どんなに熱演されても、胸に響かない。

原作でどう表現されているのか知らないが、映画を観る限り、主人公が吃音である意味が全くわからなかった。
単に周囲に溶け込めない女の子、とすれば十分である気がした。
物語の根本のところがストンと落ちていないのだから、感動につながるわけはない。

吃音の女の子を南沙良さんが、音楽好きな女の子を蒔田彩珠さんが演じる。
南さんは、泣き顔のとき鼻水をダーダー流すなど、渾身の演技をされていた。
蒔田さんは、存在感を十分に示しておられたが、演出であるにしても、クラスへの溶け込めなさの演じ方がステレオタイプ過ぎて残念だった。

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は題材を十分に活かし切れなかった作品。
何かを表現しようとしている空気は伝わるので、不快な作品ではないが、映画的なエクスタシーを与えてくれるところまでは遠かった。
とはいっても、南沙良さん、蒔田彩珠さんのファンの方にとっては見逃せない作品だし、爽やかな後味があるので、青春映画、バンドものなどが好きな人にも足をお運びいただければと思う。

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